〔017〕負担
 
 
 
 私の名前は「(あい)」。この世に生を受け、最初に貰ったものだ。そして、それが最後となっている。
 それは、私の両親は、私の幼いころ、事故でなくなっているからだ。
 
 
 私はある時からか、考えるようになっていた。
 
 
 
 
 愛とは?
 
 
 両親は、何を思って、「愛」と名づけたのだろうかと?
 
 
 
 考えて答えが出るものでもなく、けれど、だからその理由で思考を中断できるわけでもない。
 
 自分の子供の名前に何を託すのか。
 
 
 
 
 
 
 この答えが出ない疑問には、始まりがあった。
 
 数週間前のことだ。
 友人の身の上に起こった出来事。
 友人名前は『(さち)
 幸せな人生であるように、と、そう、名づけられたという。
 彼女の血液型は0型。
 彼女の父親はAB型。母親はA型。
 ここまでは、幼いころから知っていたらしい。
 だから、自分は、父親が違うと、何度か相談を受けた。
 名付け親は父親だった。
 父親は、実の娘ではないことを、知っていたのだろうか、と。
 
 そして、
 最近発覚したこと。
 それは、
 血液型がA型の母親の両親、自分の祖父はA型。祖母はAB型だったということだ。
 自分は母親も違う。
 
 では? 生まれる前、生まれる時、生んでくれた時、生まれた後の病院で。
 
 あの、自分の記憶にないころの思い出話は誰のものなのだろうか。
 
 
 両親は、実の娘に幸せにと思いを込めた。
 そして、「幸」となづけた。
 けれどその名づけられた子供は、実の娘ではなかった。
 
 それとも、実の娘でないことを知った上で、幸せを願ってくれたのだろうか。
 
 考え出したらきりがなく、この事実を確認することも出来ず、彼女は落ち込んでいた。
 
 
 
 
 
 それからだ。
 私の名前、「愛」に込められた思いを考えるようになったのは。
 
 
 
 友人にとって、名前にこめられた思いを知っていることは、負担でしかないのだろう。
 しかし、私にとっては、知らないことの方が負担なのだ。
 
 
 愛には色々な種類がある。
 私には、どのような思いを込められているのだろうか。
 
 
 
 
 






このお話は、[016]の続きです。

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